蜻蛉 日記。 蜻蛉日記『嘆きつつひとり寝る夜・うつろひたる菊』 現代語訳

日本最古の女流日記『蜻蛉日記』は女流文学・物語の先駆けであり兼家の記録でもあった

作者は家柄のよい環境で、現実の厳しさから隔離され、大切に育てられました。 さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたり。 とくに身分が高い夫と夫婦になった作者は、自分の気持ちを表現できずに我慢することが多かったことでしょう。

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それが突然に子供が死んでしまったので、どんな気持ちがしたことでしょう。

新編 日本古典文学全集13・土佐日記/蜻蛉日記

かうやうなるほどに、かのめでたき所には、子産みてしよりすさまじげになりにたべかめれば、人憎かりし心、思ひしやうは、命はあらせて、わが思ふやうに、おしかへしものを思はせばや、と思ひしを、さやうになりもていき、 果ては、産みのしりし子さへ死ぬるものか。

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『蜻蛉日記』の序文を見てみましょう。 しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。

新編 日本古典文学全集13・土佐日記/蜻蛉日記

」などというそぶりである。 せっかく訪ねていっても、いつもいつもつんけんされたら、 兼家といえども、行くのが嫌になってしまうのでは・・・。 [三夜しきりて見えぬ時あり] 三晩続けて来ない時があった。

他 の女の方 に送ろうとする手紙を見ると、もうこちら の私の所にあなたが来るの は途絶えてしまうのでしょうか。

蜻蛉日記『嘆きつつひとり寝る夜・うつろひたる菊』 現代語訳

全体に謙遜の辞を述べつつ、「この上もなく高い身分の殿方はどんなものかと尋ねようとする際の先例にでもして欲しい」と執筆動機を記しています。 天徳元年(957年) 兼家の女が子を産んだと聞き嫉妬する。 近年の私にとって、とりわけ関心があるのが『蜻蛉日記』です。

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そして『蜻蛉日記』。 夫が、何もかも兼ね備えた自分より格下と思える女性に懸想することは彼女のプライドが許さなかったのでしょうか。

蜻蛉日記新考

上中下の3巻からなり、上巻末尾に「あるかなきかの心地 ここち するかげろふの日記といふべし」の語があり、書名はこれに由来する。 出づとては、必ず、「今来むよ」と言ふも、聞きもたりて、まねびありく。 思った通りだと、たいそう嘆かわしいと思うけれども、言いようも分からないでいるうちに、二、三日ほどして、明け方に門をたたくときがあった。

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日記ではありませんが、例えばの『』もそうですよね。 しかし道綱母はそれを「偽物だしいい加減なことばかり」と評価した。

日本最古の女流日記『蜻蛉日記』は女流文学・物語の先駆けであり兼家の記録でもあった

この日記の和歌の表現の数々、もっと言えば筆者・道綱母のまなざし、心の動きに興味が尽きません。 感想めいたものになりますが、道綱母は歌才に優れた人と当時から評判で、日記内には至るところから彼女の歌への造詣の深さが窺えます。 答え:兼家が訪れてきたこと。

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との結婚生活を中心に一子道綱をはじめ父,姉妹らとの愛情生活を記したもので,の貴族社会にあって,権門のをとしたが,性格の不一致やのために味わったとそれに基づく行動を,激しい感情と鋭い致によって書いたところに価値がある。 それにしても、たいそう不思議なほど、(兼家は)何気ないふりをしている。