光村図書 しょうがくしんこくご 一年上より ****************************** 我が家にいるのは「小さい白いにわとり」ではなく、「小さいまだらのうずら」。
こんな感じで、小麦の種を蒔き、育て、刈り取って、最後にパン?を焼き、「このパン 誰が食べますか?」と聞くと、みんな食べるという、お話しです。
この数字はいかにも原子力発電が安全だという印象を与える。
小麦を刈り取る時も、粉にひく時も、お菓子を焼く時も、誰も手伝ってくれません。 これを認めると、もらうだけの人と、与えるだけの人に分かれて、誰もがもらう立場になりたいと感じたら困りものでしょ。
16勧善懲悪を期待する年頃の子供に、こんな釈然としない終わり方って、どうよ。 そんな訳で、ひとりで食べたという、この絵本と大人になって出合った時に、なんだかスッキリした気がしたものです。
いぬも いやだと いいました。
僕もこれを勉強した一人です。
」と いいました。 そして、それが同時に自分の喜びになる。
小さい白いにわとりが 『このむぎ、だれが、まきますか。
が、 ほかの動物達は怠けています。
最初から「豚さんは耕して。 小さい白いにわとりは、ひとりで麦をまきました。 小さい白いにわとりは、ひとりで粉にひきました。
10バラ売りももちろんしてくれますが、本屋さんだと巻によって在庫があったりなかったり・・なので、事前に確認してから来店するといいかもです。
いつも手元に本がある私。
小町って特に週明けはするどいレス多いですね。
わざと結論を出さないで子ども達に続きを考えさせるという意図はたしかに成功だったと思います。
」 ぶたは 「いやだ。
確かに1年生にも理解できる,繰り返し場面の短いお話ですが,今読むと,人の心の奥底をのぞくような,空恐ろしい気にさせられるお話でもあります。
」 ぶたは、「いやだ。 実は豚に共感して、「私は仕事が嫌だけど鶏は好きでやってんだから、私にパンくれて当然」と考える方が多数派? 」 と いいました。 昔欧州で近くの女の子がドアベルを押して野花の花束を差し出し<これXX(値段)>と言ったので愕然としたのを思い出しました。
12だけど,現実世界では「大きなかぶ」に出てくる犬やねこやねずみより,「小さい白いにわとり」に出てくるぶたやねこや犬のほうが,実際にいそうな気がします。
いぬ、ねこ、ぶたが家族の中の子どものメタファーであるなら、親であるにわとりにとって、幸せな家庭の物語にも思えます。
自分が何らかの役割を果たすことで、誰かがそれを喜んでくれる。
もっと早くに気づいていたら,何かの同窓会で聞くことができたのですが。 。
今一つ狙いがつかめませんよね。
検索しているときにほかでも「だれパン」のほうを探していそうな人がいましたが、こちらを購入しても思っていたものと違うとするとその部分かと思います。
ねこも いやだと いいました。 同じく繰り返し構成の作品でも,登場人物たちが力を合わせて一つのことを成し遂げる「大きなかぶ」とはまるで違う色合いです。
鶏に詫びるも感謝するも次は手伝うも自由自在。
あれから40年経った今も、あのテンポのいい詩が時々、ふっと思い出されていました。